Sunday, March 27, 2011

神沢盛況!

 日頃の節電節約で自粛だったせいか、日曜日の神沢は大賑わい‥
先週の三連休も、さすがに皆さんも自粛していたとみえ、今日の神沢は午前も午後も大盛況。隣のグランドでは少年野球の試合も始まって、トランポの駐車スペースも満杯状態でした。
朝の六時に目覚ましのスイッチを入れ、床に就いたのは昨夜の丁度十二時。なのにふと目覚めたのは、なんとまだ真っ暗の四時前だった^^;
昨日は早朝から我がトランポで栃木まで往復し、帰ってからも家族で買い出しに出掛けたりとトランポ大活躍、それなのに今日の準備もしないまま寝てしまったせいか、それが気にかかって早く目が覚めたのかもしれない。
東の空が白々と明け始めたころに我が家を出発し、現地に七時過ぎ入ったものの、お昼まで殆んど休みなしで練習に励み、午後から集まってきたライダー達と入れ違いに、神沢を後にしました。


いや~よく練習しました。練習後の疲労と昨夜からの寝不足が祟ってか、猛烈な睡魔と挌闘しながらも我が家へ到着したころは、全身に筋肉痛が伝わっていた‥一週間、仕事で筋肉をほぐし、また週末に挑むとしますか‥^^;

Sunday, March 20, 2011

我が家のトランポ‥

 電気、水、燃料と節約の日々が続いておりますが、如何お過ごしですか‥
さすがに諸般の事情でトライアルは自粛ですね。何たってトランポの燃料残が片道キップしかありません。
きっときっと来週末には燃料の供給も好転するでしょうから、もう少し我慢しましょう。
今日は一週間分の食材を仕入れに、共稼ぎの我が家には最近の習慣になってしまいました。
週末が近づくと食材が品薄になって、夕食の献立が寂しくなってきますが、あの通勤路の百三十段の階段を、毎日毎日お買い物袋をぶら下げて登るのは、もう辛いそうです。
今朝も一番で近所のショッピングモールのスーパーへ、金曜日までは休業でしたが土曜日から再開したようです。
車で五分ほどですが、軽トラの荷台にスーパーのビニール袋をいくつも風になびかせ、バイク以外に買出しにも役に立つ我が家のトランポです。
しかし開店の十時前には着いていましたが、すでに入場制限で入口に長い行列が、それでもわずかに待って入れました。果物野菜売り場から魚貝や肉売り場へと、順番に回ってパン売り場に着くと、棚が空っぽです。
僅かな時間で買い占められたとは思えません。多分まだまだ被災地優先で、多くは我々までまわってくる余裕がないのでしょうか‥ガソリンと共にもう少し我慢が必要なようです。
幸い我が家は家内の妹から、米と一緒にパン類やトイレットペーパーを送ってくれました。買い占め騒ぎや品薄のニュースに触れ、わざわざ送ってくれたようです。
先日も弟からロウソクや乾電池を送られてきましたが、物流も西方面からに較べて、北関東や東北方面へは、まだその物流でさえ充分ではないようです‥一日も早い道路の復旧やガソリンの確保が、被災地の復興を助けることでしょう。
その我が家のトランポも、ガレージに入ったままで出動の機会がありません。この週末は普段の足のミニでさえ、ガソリン不足で我が家の軒先に停ったままでしたが、今朝はそのトランポに代わって、買い出しの役を担ってくれました‥わずかに往復十分足らずですから、そんなに燃料も減りません。
来週末はトライアルの練習へ出かけたいもんですが、残量半分以下のトランポでは心細く、一日も早い近所のGSの営業再開を心待ちにしております。


さてその我が家のトランポですが、カメラを向けてファインダーを覗いてみると、逆に向こうから覗かれて、何だか寂しそうに見えるのは、ボクだけでしょうか^^;

Wednesday, March 16, 2011

震災フレックス‥

 今回の震災は東北を中心に東日本全体に及ぶ、いまだかってない大きな爪跡を残しました。
毎晩、現地から送られてくる報道番組を見るたびに、現地の痛々しい映像が流れてきます。
ここ首都圏でもその影響は強く、月曜日の朝一番からその震災の影響の大きさに戸惑っています。
電車は間引き運転もしくは運休、輪番制の停電、加えて原発の放射能漏れと、東北方面の直接的な被災に較べら僅かな事と分かっていても、心の動揺は隠せず、仕事にも生活にも大いに不安と不便を感じます。
会社も各自、電車運行の都合に合わせて出勤しやすい時間帯で仕事をこなす。停電などの影響で家庭に支障をきたす人は、停電前になるべく帰宅する。節電の為に昼間は電灯もエアコンも消して、なるべく日が暮れたら早めに帰宅するなど、いまや震災フレックスと云える体制です。幸い取引先も同じような状態でしょうし、自宅待機のところも見受けられます。
ただ東北方面の取引先とは連絡がついたものの、物資不足のうえ物流が滞っており、この先回復の見込みはたってないそうです‥心配ですが一日も早い復興を祈るばかりです。
今も暖房の無い、暗い会社で明るいパソコンの画面を眺めながらキーボードを叩いています。ラジオから流れてくるNHKのニュース番組は、震災後にJウェーブに取って変わりました。
被災地の方々に較べたら、我慢と云えるほどでもありませんが、我が家へ戻ったら、電気も暖房もついて暖かい夕食も待っていると思うと、それでも我慢ができます。
しかし、いよいよ今夜は我が家の停電の日だそうです。
昨日慌ててコンビニを覗いてみましたが、ローソクも懐中電灯に入れる電池もありません。他にもお握りやカップ麺、パン類などの棚も空っぽです。幸い我が家は週末に一週間分を買い溜めする習慣のせいで毎日の食事に事欠くことはありませんが、果たして来週分の手当てはつくのでしょうか。
ガソリンも売り切れの看板や、長蛇の列で思うままになりません。
今朝も仕事で使うミニに一時間並んで入れてきました。三千円上限ですが充分満タンにできます。当然ストーブ用の灯油は無いでしょうね‥きっと!
我が家の少しばかり残ってる灯油は、もう二年前からのものですが、使えるでしょうか。幸いいつもトライアルのお昼用のストーブとガスカートリッジで、多少の明るさと、暖は取れるでしょう。ホワイトガソリン用のランタンやストーブもありますが、肝心のホワイトガソリンが切れてます。これも昨夜慌てて買いに走りましたが、すでに売り切れ、次回の入荷は未定だそうです。
まぁたかが四五時間の辛抱、寝袋にくるまって凌ぎましょう‥こんな時こそ家族の絆が深まるかもしれません。
今朝はその古い灯油とストーブ、ガスカートリッジにキャンプ用のストーブを自宅に準備をして出てきましたが、会社に着いてみると実家の弟からローソクと乾電池が送られてきました。ありがたいことです。
我々も被災地へ向けて何かしら支援をしたいものですが、こういう時に大いに力不足を感じます。せめて義援金を送って支援の足しにして頂ければと、ささやかですが今朝振り込んできました。


さぁそろそろ六時、暗闇の我が家へ帰るとしましょう‥ガスは来てるでしょうから、今夜の夕飯は鍋をつついて暖をとり、PCもTVもないロウソクの下で、何を語ろうか‥

Sunday, March 13, 2011

トライアル日和、でも‥

 
 二週間ぶりに跨りました‥
今朝は頑張って七時半まえに到着、すでに一人で練習を始めていたべルドンS藤さん‥早いね^^
バイクを降ろしてスタンバってるところへ、見慣れたイーハトーブ広報軽四のみんせいさん登場‥今年は一皮剥きたいと^^
練習を開始した頃に、多摩テックでも加齢でいや華麗で過激なY田さんと、続けて昨年度月例チャンピオンに輝いたK田さん^^
練習に夢中の頃に、十数年前初めてミロクの大会でご一緒して、当時から華麗で羨望なライディングのU嶋さんの計六名^^
地震後も自粛することなく、家族の冷たい眼差しを背中に受けて‥多分!? 神沢に集まったトライアル馬鹿な皆さんです^^
春を感じさせる暖かい日射しを受けて、しかし残念ながらベストコーチ不在の中、それぞれの課題に心地よい汗を流して、神沢を後にしました。


しかし、このブログを書き込んでいる最中も、テレビから流れてくる生々しい被災の模様に手が止まり、心が痛みます‥一日も早い復興と、被災された方々の心が癒される日がくることを、心よりお祈りしています。

Saturday, March 12, 2011

三月十一日!

 国内観測史上最大の地震だったそうです‥
忘れないうちに昨日の記録を綴っておきましょう!


午後二時過ぎから仕事のクライアント先K社と一緒に、墨田区の取引先A社のビル八階のショールームで打ち合わせ中、まずはユラユラと微かに地震を体感、スカイツリーは大丈夫かぁ、などと戯言を吐いたすぐ後に突然揺れが大きく突き上げ、そこに居合わせた全員が一瞬凍りつく。
と途端に周りの全ての、什器、棚、陳列物、壁が倒れだし、机の下に潜り込み、横倒しになりそうなその机を皆で押さえつつ、ただただ早く終わってくれ~と祈ってました。
本当に怖かった!
治まってすぐに階段で下に降りて、上を見上げてもまだビルが揺れてるのか、身体が揺れてるのかどちらともつかず、あたりの道路にも人が溢れ出し、呆然と上を見上げるのみ。
この時は、ここ関東の下が震源地と信じて疑わないくらいの、未だかって経験外の出来事でした。


取り合えずその後の仕事は延期して車に乗り込み、その道中携帯電話をかけても、携帯電話のインターネットでもなかなか繋がらない、家族の安否や会社の仲間は無事かと心配しながら、車窓から眺める光景は、今まで見たこともない人や車でごった返し、救急車やら消防車のサイレンが渋滞の道路を押し退け通り過ぎて行く。
街中には帰りを急ぐサラリーマンで歩道に人の波が出来、その異様な人ゴミを尻目に車は遅々として進まない中、またまた大きな余震が。
信号機が揺れ、左右に見上げるビル群もユラユラと左右にぶれているのがハッキリと見てとれます。


そんな不安の中、二時間かけてようやく会社に着いてみると、会社の仲間は近くの大使館の広い敷地に避難していたらしく全員無事。自宅にも何度も連絡を試み、その内の一回だけ電話が繋がり、娘も我が家も無事と分かり胸を撫で降ろしました
会社は机の上の書類やパソコンが飛び、棚の中身が落ちたりしてますが、大きな損傷もなく安堵したものの、ラジオから流れてくる情報に、関東どころではない東北の被災が尋常ではないと分かって、おおきなショックを受けました。


まだ余震の心配もあることから、会社のある古いビルはを離れたほうがいいだろうと、帰りの便がない仲間と共に、六時過ぎに車で我が家へ向かいました。
この頃から、大勢の人が都心から我が家へと避難は始めたようです。
会社から出てすぐの246号を、わずか100m進むのに30分と幹線道路の交差点はどうにもなりません。やり過ごして裏道裏道を繋いで環状八号線へ出るも、どうしても幹線道路を横切るところは雪隠詰め。
そしてついに多摩川を渡る手前で、渋滞の流れに任せるまま、この後も鶴見川を渡るまで一本道。この幹線道路沿いの歩道をゾロゾロと延々歩く人、自転車で車の列と人ゴミをすり抜けて移動する人、まったくこの夜の時間帯に見たこともない、祭りの夜の人出のごとく、人と車で埋め尽くされていました。
その間もいくつかの余震を体感しながら、途中のコンビニで夜食を買い求め用を足して、我が家へ到着したのは、この大地震が発生した3月11日から明けて12日に日が変わる頃になっていました。


途中停電で暗闇の街をすり抜けるも、幸い自宅の近辺は停電は免れ、明るい我が家に辿り着いて安堵するのも束の間、初めて目にするテレビの映像に愕然とし、時間が立つにつれ、あのビルの八階で遭遇した揺れを思い出さずにはいられません。
東北方面には多くの友人や知人、また仕事関係の方々がいらっしゃいますが、兎に角皆さんの無事をお祈りしてやみません。

Wednesday, March 9, 2011

長寿の祝い‥

 先週の金曜に空路で故郷へひとっ飛び‥
もう米寿だけん久しぶりで帰ってこんね! とお袋当人から電話あり^^;
その米寿を迎えたお袋と六年ぶりでファミリィ全員が勢揃い、その夜は弟の同級生のお店で、馬肉尽くしで大いに盛り上がる。
久しぶりで再会した甥っ子姪っ子も、見違えるように成長して、眩しいくらいの若さを漲らせていました‥^^

 明けた土曜日は朝一番で懐かしのお城へ‥
子供のころは、このお城の空濠へ下りて良く遊んだ覚えがあります。昔はこの濠の縁にあった洞窟でこっそりと、鉛筆のアルミキャップをロケットに見立て、何処で調達したのかそのキャップに火薬を詰め、発射させようとしたものの、見事に破裂して破片が指に刺さった苦い記憶が薄っすらとありますが‥今はその後のお城復元整備で、その空濠も何処を見ても綺麗になってしまったような気がします。このおぼろげな記憶も、その整備が進むにつれ齢とともに年々薄れていくのでしょうか^^

 お城を後にして、春ならば青々と草原広がるハイウェイを一路黒川温泉へと‥
お袋と一緒に温泉へ行ったのは、秋田の乳頭温泉いらい四年ぶり。http://ameblo.jp/blog-minivan/entry-10043074925.html
たったの四年間ですが、あの時に較べて随分と足腰も弱くなって、益々小さくなって子供に返ったような可愛いお袋になっていました。
耳も遠くなり、歯も上顎は総入れ歯になり、階段の昇り降りも介添えなしではちょっと覚束ないようですが、まだまだ気持ちはしっかりしていて、杖を突いて近所のデパートへ買い物に行くのが楽しみなようです^^

また五年後に会おうと別れてきましたが、少しでも長生きして欲しいと願いをこめて‥^^

Thursday, March 3, 2011

ノスタルジック症候群‥

 最近は妙にノスタルジックカーが気になります‥
きっかけは多分に、一昨年の暮に我が家にやって来たトランポ。この軽トラックのHONDA TNアクティに乗り出してからだろうか。
最初はエアコンも無い上にヒーターの具合も悪く、薄く直角な背もたれのベンチシートに慣れず、移動の距離がちょっと伸びると、トライアル帰りにグッタリと疲れていたものです。
そのトランポも早や二年目を迎えて、身体も慣れたのだろうか、そんなに苦にはならなくなってきました‥でもまたあの暑い真夏になるとどうだろう、と云う不安は少しありますが‥^^;
そんな軽トラ、たかが550cc足らずで二気筒のエンジンながら、意外と吹けあがりは良く、クイックなシフトチェンジを頻繁に繰り返し、高回転を保って走ると、ミドシップのエンジンや軽量さも相まってか、コーナーもスルっと向きを変えてくれます。
‥ボンネットを開けても路面が見えるほどの隙間が存在してるシンプルな機関、室内を見渡しても余分なものは一切無いスパルタンな空間、五感に訴えかけるシビアな操縦‥
そんな非力ながらライトウェイトな車を走らせることの快感が、沸々と湧き上がってくることに無性に喜びを感じるのは、あの過ぎ去った若かりし頃の、筑波サーキットを駆け抜ける快感を思い出したからでしょうか。
そんな感慨に耽っていたおりに、HONDA S800所有のベルドン斎藤さんhttp://ameblo.jp/blog-minivan/entry-10432113451.htmlからのお誘いで、ノスタルジックカー2デイズなるイベントへ行って来たのが先週の土曜日。
60年代から70年代前半の、当時国内を走り回っていたあのノスタルジックなクルマ達が、奇麗にレストアされて展示してあり、いきなり昭和にタイムスリップしたような、懐かしさと興奮に戸惑いを覚えながらも、あらたにノスタルジックカーの新鮮さに感動を覚えた一日でありました。
そんな車たちを脳裏に描きながら、とり憑かれたようにネットサーフィンの今日この頃です。
次なるトランポもそんな車たちの中から出てこないものかと‥^^;

画像はその時につい買ってしまった、SUBARU1000の1/64スケールモデル‥実際レストアされた車両も見てしまいましたが、心の中で唸り声をあげてしまいました^^;